パイプラインの様子

あなたの人生の物語

“すべての人に物語があり、ほとんどの物語は、その核の部分で似たところが多い”
-J・ドゥティ『スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック』

わたし達はみな、人生のこの一瞬一瞬を生きている。それぞれの人生にそれぞれの物語があり、辛く苦しいことや、喜びや、悲しみを繰り返して生きている。だからその一つ一つが貴重で、唯一無二だけれど、わたし達はみな同じ人間だ。19世紀の心理学者ユングが「元型」として指し示したものは、人間の内面に普遍的に存在する(たった)6つの形式だったし、創作される物語の類型はせいぜい30そこそこで、あとはその亜流、シェイクスピアの37つですべて説明できる、なんてことをいう人もいる。

つまるところ、物語のいろどりは各個人で様々だけど、大別すると「成功して嬉しい」「失敗して悲しい」「誰かが死んで悲しい」「付き合って嬉しい」「別れて悲しい」「貧乏で世を恨む」「世界の平和のために頑張る」などなど、人間の人生で起きることの種類なんてそんなに多くなくて、だいたい似た種類の経験をしていることになる、ということだ。それもそのはず、ぼく達は同じ人間で、地球上に存在し、似たような社会に住み、似た感じで家族を構成し、ご飯を食べ、働き、セックスし(またはせずに)、生まれてくる子どもの顔を見て(または見ずに)、死にゆく人を送って、やがて死ぬということに向かって生きているからだ。だから、その過程で経験する物語も、想像/創造できる物語も、限りがあるということだ。

この「彩りは各個人で様々」だけど「人間は根本的にみな同じ人間」ということはとても重要で、個人が個人であることを保ったまま他者と通じ合えることの支えになっている。「あなたとわたしは違う人間だし違う経験をしている。けれど、あなたの気持ちはわかる」というようなことは、こうした点から生まれてくる。
人類はみな兄弟で、平等で、同じだけれども、それぞれが交換不能でかけがえのない一個人だ。だからこそ、お互いが言葉を交わして(またはしばしば言葉を用いずに)物語を共有し、気持ちを深く感じ取り、共感し、傷を癒したり愛を語ったりすることができる。

誰かの人生の物語にそっと触れるとき、それが嬉しい話であれ、悲しい話であれ、温かさを感じることができる。自分がいなかったその時その場所で、自分の目の前に今いる人が出会った出来事。唯一無二の体験。映画や小説ほどドラマチックでなくても、些細なことでも、その瞬間の感情にほんの少し触れるとき、時を超えてそれが伝わるとき。温かい気持ちが広がって、目の前の「あなた」にやさしさを手渡したいと思うことは、人間の生まれながの本能だと思う。嬉しい話を聞いて、心からよかったねと思えること。悲しい話を聞いて、少しでも癒したいと思うこと。それは人間の本質で、そして、そうすることで自分が幸福を感じ、自分が癒される。
自分が幸福になるためには、他人を幸福にし、自分が癒されるためには他人を癒す。これは資本主義が成し得ない交換で、愛と共感は無限に増殖していく。「宇宙でもっとも強大な力は複利だ」と唱えたアインシュタインは同時に、「愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力だ」と言っている。雪だるま式に膨らんでいくのは、資本ではなく、愛だという。
その通りだと思う。太古より、今も未来も、これが人間に与えられた宿命で、可能性だ。我々は尊厳と愛を持って支え合っていくことでしか種を保存することができない。必要なのはそれだけで、あとのものはすべておまけのようなものだ。だから、欲張りでも馬鹿らしくても、「すべての人が幸せになるように」と願って生きることは、決して無意味ではない。そう願うこと自体が、与えられた宿命だ。余談だが、マルクスの発明した資本主義で交換されるべきは、貨幣ではなく愛だったのだろう、というのがわたしの持論だ。もっとも、そんなことはマルクスもわかっていたのだろうけど。


“歩くほどに靴底が汚れてく そんな風に僕らの魂も磨り減れば影ってしまうよ そんな時に思い出して 君が諦められない理由を 救ったはずが救われたっけ 握ったつもりが握られた手”   —菅田将暉「ロングホープ・フィリア」

 

あなたの人生の物語。

これはテッド・チャンの短編SF小説のタイトルで、原題は「The story of your life」だから、ほとんど直訳だけども、素晴らしい味わいの一文だと思う。
わたしも、ほかならぬ「あなた」が語る人生に救われたと思うことがある。数時間にも及ぶおはなしのこともあれば、たった一つのセンテンスが脳裏に焼き付いて離れないこともある。それは強烈な体験で、例えば、有名な写真家のとった素晴らしい1枚の写真より、「あなた」が撮影した何も特別じゃない写真のほうが、「わたし」に多くのものを伝えてくれるときがある。津波のように感情が押し寄せるときがある。わたしの知らない誰かが見た景色じゃなくて、目の前の「あなた」が見た景色を「わたし」は見たいと思う。

たとえば、家族や恋人と、または友達と、可能なら今日はじめて出会った「あなた」と、電気を消してテレビを消してキャンドルを灯した静かな部屋で、人生でおきた出来事についておしゃべりをすることができたら、どんな気持ちになるだろうか。人間の「ほんとう」の部分に触れることができたら、自分の気持ちはどう変わるだろうか。心を開いて、「ほんとう」の部分に手を差し伸べてもらったら、どんな気分になるだろうか。
わたしたちにはきっと、「その瞬間のために生きている」という瞬間がやってくる。そのときのことを話せたら、どう思うだろうか。
もしこの文章を読んで、「わたし」もなにかを聞きたい、話したいと思った人がいるなら、そっと声をかけてほしい。

あなたの人生の物語。

かけがえのないあなたの今日一日に感謝を。実りと幸の多からんことを。



“世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った” –アルベルト・アインシュタイン
※アインシュタインが娘に宛てた手紙ですが、諸説あります。

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